Talk -Yukiのおしゃべりの部屋-

私の感じたこと、思ったことを徒然に綴っていきます


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□ 6ヶ月ぶりの5spot

2004-04-09

昨年12月には残念ながら行けませんでしたので、半年ぶりでした。
相変わらずの、皆さんの笑顔と拍手が温かく心に伝わる楽しいライブでした。
気候も思ったより寒くなく、快適で、地理的には遠いはずなのに、最近は、「あ、また来たな」と、隣町にでも着いたような安心感と、その晩のライブの楽しみでいっぱいになります。
メールでばかりお話していた長谷川憲子さんご夫妻も早々と来店してくださって、会えてよかった。いつも来てくださるメンバーの皆さんや、今回は、“モントルーJazzフェスティバルin能登”の相談役をしていらっしゃるティム芦田さんや、実行委員長の間蔵さんにもお会いでき、ラッキーでした。
ティムさんは、なんと、一緒に撮った写真をメールで送ってくださり、とても良く撮れていたので、LiveのPhtoに載せさせて頂きました。
世良譲さんを偲んでの、「Mr.Wonderful」そして私のCDの中の、「But Beautiful」「My Heart Belongs To Daddy」を歌いました。天国まで聴こえたかな?
翌日は、昨年の羽咋での講演でお世話になった、轟さんの新しいゲストハウスにもおじゃまして、すばらしいお家を拝見したり、中村KOWさまファミリー皆さんで作ってくださったお昼をご馳走になり、夜は・・・大期待していた和倉温泉に!
東京の喧騒を逃れて心の隅々まで、ゆっくりした一晩でした。
皆さんまた行きますねー!

□ 世良さんの告別式 Mar.7 ‘04

2004-03-16

3月7日、13:00より青山葬儀場にて、告別式が行われました。
葬儀委員長を勤められた、北村英治さんとのデュオの「酒とバラの日々」が会場に流れる中、ほんとうにたくさんの方々が弔問に訪れ、改めて世良さんの人気と交際の広さを感じました。会場に入れない方々は長い間、行列していらっしゃいましたが途中、突然白い雪がさらさらと降ってきて、「まるでお清めのようね。」と話しました。
Vocalの皆さんと受付をやりましたが、最後に少しでもお手伝いができてうれしかった。
式が終わった後、世良さんが30年間出演なさった六本木バードランドで、ママの太田紀美子さんが中心になり、ピアノの前に大きな写真を飾り、好きだったワインも置いて、Videoを流したりしました。何だかまだ、世良さんがいるようでした。
多くの方がいろいろと思い出を話されました。
こんなにたくさんの人が世良さんのこと、大好きだったんです。
どうかこれからは、天国で好きなお酒を飲み、ピアノを弾いて、そして私達のことを見守っていてくださいね。

□ ジャズピアニスト世良譲さん

2004-03-03

平成16年、2月17日、世良さんが亡くなりました。とても悲しい。ご冥福をお祈りします。
世良さんとお会いしたのは、20代の頃です。まだJAZZもあんまりうまく歌えたとは言えない私でしたが、何かにつけアドバイス、またたくさん一緒にお仕事もさせて頂き、大切な大先輩でした。ピアニストなのに、歌詞をよく知っていて、私が間違えると全部わかっていて、よく怒られました。
仕事を離れては、いつもお茶目な世良さんで、楽しい思い出がたくさんあります。
CD「Smile」に、レコーディングをお願いした時も、快く引き受けてくださり、レコーディングの日は、スタッフのみんなにと、鎌倉カスターを、お土産に持って来てくれたり、ほんとに気さくな方でした。
いつも六本木バードランドに、仕事の休憩に寄ると、あのステージでピアノを弾いていた姿がもう見られないのかと思うと、残念です。
タキシードが誰より似合った世良さん、お正月のお鍋会で和服でピアノ弾くのも決まってた世良さん、オフの時間にバラードを弾いて、涙を流してた世良さん。
音楽には厳しくて、いろんなことを教わりました。
もう怒ってくれる人がいないと思うと寂しいけれど、これからの私は、ほんの微力でも、大切にずっとJAZZを歌って行きたいと思います。

□ Bangkok oct.nov ’03

2003-12-10

今年もやって来ましたバンコク!久々のバカンスです。雨季の終わりごろなので、お天気はどうかなと心配しましたが、そもそもの晴れ女、とても気候に恵まれ、最高でした。
またまた、お友達ルネちゃん夫妻にはお世話になりました。

☆APEC
ようやく仕事の合間を見つけ・・・というか、遊ぶときは無理矢理時間を作ってしまいます。こんな時だけすごい実行力なのです。さーて、チケット予約入れようとしたら、なんとBangkokでAPECが開かれ、ちょうどその日に、ブッシュさんが来るという・・・それはないよなー。私は飛行機もUAだし、ま、交通規制なども心配だけど、何もよりによってブッシュさんが来る日にアメリカの飛行機でタイに行くことはないだろうと思い、一週間延ばしました。何となく物騒だものね。

☆サムイ島
暑いのにさむい島・・・なんちゃって古くさーい!
Bangkokからまんがチックなプロペラ機に乗り、約一時間半。プーケットに次いでタイで二番目に大きな島です。
今回はとにかくビーチに行きたくて、でも雨や温度ばかり気にしていましたが、まったく良い天気で、あんまりギンギラギンでなくちょうど良かった。(シミこわーいからね!)
ルネちゃんが、さんざんインターネットで調べ、予約してくれたバンガロー風ホテル、おしゃれで、素敵でした。私のお家の隣はルネちゃん夫妻。楽しいな!
ビーチでマッサージも気持ちよかったけど、デッキチェアーで浜辺にいると、色々な物を売りに来ます。アイスクリームやおみやげ。おもしろいのは、Tatto(刺青)の柄を書いたノートみたいなのを掲げている人。私はやらないってば!描くだけかもしれないけどね。
目が合うと絶対「買え買え」とそばに来てしまうので、なんとなーく無視。でも時々、素敵な生地(パレオにもなりそうな)など持っていると、結局買ったりして。

☆アユタヤ
アルトサックスプレイヤーのかずさんのお兄さんは、タイのお役所勤めでとってもえらい人なので、おかかえ運転手付です。今回、私が足が痛いので運転手さんのキット君も一緒に車を貸していただきました。ありがとうございます。それでさっそく、お目当てのアユタヤへ。このあいだからずーっと、私は象さんに乗りたかったのです!
遺跡はいっぱいあるのに、入り口の出店で、「あら、このスカート素敵かも」とか、すでに買い物していたりして、だめな私達。
かつて、ビルマ軍に破壊された首のとれた仏像の所には、そこに頭を乗せて記念撮影しないように注意書きがありました。そんなバカなことをする人がいるんですねー?日本人でないといいけど。

☆サパークラブ「BED」
カズさんが出演するというので、食事がてら行ってみてびっくり!ドームみたいな変わった建物で、何とお店は真っ白で両サイド2Fまで全部ベッド。寝ながら食べたり飲んだりライブ演奏が聴けるんです。大きなスクリーンや、DJブースもありかっこ良いです。究極のくつろぎ!つい、くつろぎ過ぎてしまいます。
日本にもあるようなこと聞きましたが、もし誰か知っていたら教えてね。
カップルや、お友達と行くにはいいけど、男同士・・というのは、あんまりサマになっていなかったですね。要予約(http://www.bedsupperclub.com/)。

□ 5spot ライブ&羽咋女子大公開講座inコスモアイル

2003-10-20

☆9月12日、四回目の5spot ライブ、First Setはちょっとヒマだったけど、Second Setには常連の方々、又初めてお会いする方々もいらして頂き、遅くなって盛り上がりでした。
藤井さんのリクエスト「Nature Boy」も歌って・・・しかし単調な歌ほどむずかしいですね。今回はDrの中村さんはサンバホイッスルなども持って来てくれたり、Carol King のナンバーは、Guiの横山さん盛り上がりだったり、私の予定したレパートリーに合わせて、いつも楽しい演奏してくださって、ありがとう!
益々、素敵なライブにしたいですね!

☆翌日13日、第11期羽咋女子大公開講座in コスモアイル、ロトンダホール「JAZZの楽しみ方」
「宇宙の出島」という意味のコスモアイル http://www.city.hakui.ishikawa.jp/ufo/index.html
  とてもすてきな建物でした。入り口には本当のロケットがあってびっくり!
  会場も吹き抜けでピアノもばっちりだったので、気持ちよく演奏できました。この仕事をしていて、ピアノだと、楽器持って行かなくていいから楽ねとか思われがちですが、もし、行った先の楽器がいまいちでもそれを弾くしかないので、辛いところもあるんですよ。ほんと。
秋祭りと重なってしまったと聞いていましたが、いやいや本当にたくさんお集まりくださって、熱心に聴いてくださり、一緒に歌も歌ったりしてとても楽しかったです。
  「JAZZの楽しみ方」なんていうとちょっと照れるけど、これを機会にJAZZが好きな方がひとりでも増えてくれたらこんなにうれしいことはありません。又、何の音楽でもいいから気軽に楽しんで頂けたらと思います。
  皆さん女性としてそれぞれに忙しくても、新しいことに興味を持ってこういう場に出かけていらっしゃるパワーは、本当にすばらしいことですね!
  さて、この公開講座を6年も運営なさっている轟千栄子さん(お医者さんです)のお宅で打ち上げワインパーティーなど楽しんで、翌日、空港まで送って頂いたのですが、余裕で出かけたのに何と交通渋滞に巻き込まれ、(航空祭があったせいだそうで・・たしかに頭の上をジェット機が飛んでいました)一時は飛行機に乗り遅れるのでは!とアセりましたが、他の人も遅れた為に出発時間が延びて、無事帰れました。夜は仕事があったので、久しぶりに必死になり、全速力で空港内を走ってしまいました。アレ、私、足痛かったのに? 

□ X’mas Time in New York 2002

2003-01-17

この仕事をしていると、年末は,なかなか休みが取れないのですが、いつかは一度…と思っていた、イルミネーションできれいなN.Y.へ!
思いきって行って来ました。

☆20年ぶりのストライキ?
さて、出発の前々日TVを見ていたら、なんとストライキの為、マンハッタン中の交通機関が週明けにストップするかもというニュース。
びっくりして、あちこち連絡した結果、空港にリムジンのお迎えを頼んでもらいました。
結局ストは回避されたのですが、JFKで、来ましたー!黒塗りの大きなリムジン。お酒のデキャンタや、グラスまで揃ってる。ラジオを付け、深々とシートにもたれてリッチ気分。
やがて夕暮れの中に、摩天楼が見えてきた時はうれしかったな。
ちなみに、20年位前に11日間続いたストライキの時に、オフィスまでスニーカーを履いていって、パンプスに履き替えるというのが定着したそうな。
今回も自転車が 5割り増しで売れたとか。何のこっちゃ。

☆クリスマスツリー
毎年、点灯式をTVで見ていたロックフェラーセンターのツリー、ついに本物見ました。
思っていたよりすごく大きい。まわりの天使のイルミネーションも素敵でした。
街中あちこち、イルミネーションがとてもきれい。大きなビルの中には必ずツリーがあり、普通の家や、ベランダなども、日本の感覚とちょっと違った趣でおしゃれに飾ってありました。

☆Music
ミュージカルは“アイーダ”を見ました。エルトンジョンが音楽監督で、数年前からCDを聴いていたので、曲を全部知っていて、益々感動しました。
友人(Tak inagakiさん。HPリンクしています)が、理事をやっているSingers’ForumのX’mas コンサートや、昨年聴きそびれていたブロッサム・デアリーのパフォーマンスも楽しみ、ジャムセッションでは、歌ったりして、楽しかった。
ビレッジにブラジリアンMusicも聴きに行きました。演奏は11時頃から始り、夜中になるとミュージシャン仲間が楽器を持って、ひとりふたりと集まってきて、しまいには大編成になり、大盛り上がり!音楽やる人は何処も同じだなーと思いました。
私があさって日本に帰ると言ったら、「じゃ、あなたの為に」と歌ってくれたのがボサノババージョン“赤トンボ”。
しかし、「じゅうごーでねえやーは…」とか、歌われるとうれしかったけど、なんか変。
ボーカルのValtinkoさん、日本にお仕事で来た事あるみたい。

☆ケータイ
前回で懲りて、あらかじめ携帯を借りて行ったので、とても便利でした。
むこうの携帯はほとんど黒で、ゴツくて、全然かわいくなーい!
ストラップは付けるところがないので、ただ、ポケットとかに入れるだけ。
お店の中や、道で、ケータイでしゃべっている光景は、日本と同じですが、地下鉄の中などで、カチコチやってる人はいなかったなあ。

☆Williamsburg
一昔前はアーティストが集まるのは、SOHOだったりしたけど、その後トライベッカなどに移って行き、その辺ももう、開け過ぎて家賃も高くなり、今は、イーストリバーを渡った、Bedford TownのWilliamsburgがトレンディみたい。
治安も良く、朝までやってる素敵なお店がいっぱい。そして、いる人がみんなかっこ良い!
若い!川を渡ると言っても、14丁目から、地下鉄がつながっているので、便利。

☆Emergency !
もっといたいけど、しょうがない、ぼちぼち仕事だものねと、乗り込んだ帰りの飛行機で、急病人が出て、何と、戻るようなかたちで、アンカレッジに緊急着陸することに。
「お客様の中で、お医者様か、看護婦さんはいませんか!」とか、映画のワンシーンのような…。急病人は飛行機ですぐに運ばれて行ったようですが、給油した後、こちらの飛行機が、凍結の為飛び立てなくなり、(当然、アンカレッジは雪景色でした)缶詰め状態に。
18時間以上かけて、成田に着き、ヘトヘト。
でも、飛行機の中から、東京にTELできた時は、「あー、よかった携帯持ってて」と思ったのでした。

□ 最近思う“素朴な疑問”と、ほとんど“クレーム”

2002-08-18

☆お台場
私は仕事で、ときどきお台場に行きます。
ゆりかもめに乗ると、突然、未来都市を行く…という感じがしますね!、
いつも、こちら側から見ている景色を、反対側から見るのも新鮮。
芝浦埠頭からぐるーっと大きく右にカーブし、レインボーブリッジにさしかかる時のあの光景、しかも真っ赤な夕陽が見えたり、薄紙のような月が浮かんでいたりすると、何にもなくても、感傷的な気持ちにさえなります。
さて、ゆりかもめ4つ目の駅は“お台場海浜公園”ですが、次は“台場”。何で「お」がないんですか?アクアシティだって“アクアシティお台場”なのに。
昔からそういう地名なんだという事でしょうが、誰も「台場に遊びに行く」とは言いませんよね?
何だか台場駅だけ、丁寧に言われてないみたいで、かわいそう!

話は変わりますが、夜、観覧車などのイルミネーションがきれいなところ(横浜ロイヤルパークホテルから、桜木町に向かう歩道など)で、ひとりで見とれて佇んでいると、若―い男の子に声かけられたりしますよ。
「あのう…、写真撮ってもらえますか?」などと。
私は仕事帰りに、二回も言われて、「ア、はいはい。」「撮りますよー!」なんてつい、サービスしてしまい、ルンルンで立ち去って行くカップルを見送って、“私っていったい…”と思うのでした。

☆ファミレス及びコンビニのピリ辛、激辛 流行り
出先で一人だと、ラーメンやさんに入る勇気もなく、ハンバーガーショップもいまイチ…かと言ってちゃんとしたレストランでゆっくり食事するというほどでもない時、ファミレスがあると、飛び込むことがあります。
しかし、カレーは別として、最近何でもかんでもピリ辛、激辛が多すぎると思いませんか?
先日、韓国風冷やし中華というのを注文したところ、唐辛子でメチャクチャに辛いおつゆで咳き込んでしまい、付け合わせがキムチで、もう、何の味だかわからなくなり、残してしまいました。
コンビニでよく買う私が好きなチーズせんべいは、突然キムチ味になり、ムッとして、もとの、普通の奴はどこにあるんだ?と探しましたがありませんでした。
惣菜、おつまみも、しっかりチェックしないと、唐辛子入りが異常に多い。
辛い物、キムチも好きですよ。でもそれはちゃんと、いろいろなだしや、香辛料が入って美味しいという上での話です。
こんなふうになって来ると、風味だの、素材の本来の味だのはわからなくなって、味音痴になってしまうのでは…?
だから最近“マヨラー”が増えているのですよねー。
ちなみに、私の知っている女の子は、一ヶ月に500g入りくらいのを、5,6本使ってしまうとのことです。(でも、太ってないヨ。フシギ)

□ BANGKOK Feb. 2002

2002-03-20

寒―い日本を逃れて30度Cのバンコクに!
久しぶりに長年のお友達、ルネちゃんを訪ね、つかの間のバカンス。
結局観光もせず(せめて半日ツアーで、寺院めぐりでもしようと思ったけど、前の晩おしゃべりまくり、呑みまくりで起きられずやっぱりパス。私ってそんなのばっかり。)ひたすらのんびり旅行でした。
暑い国なので、何となくみんなゆったり。これがいいなぁ!
貧富の差など、いろいろ問題はあっても、街は活気にあふれ、子供、女性、お年寄りを大切にするとか、私たちが忙しさの中で忘れてしまいがちな事をふと思い返したり、また、彼らの笑顔を見ていると、ほんとうにリッチって何だったんだろう?と考えてしまったり・・・。
次こそ象さんに乗ってトレッキングするゾウ!

☆タイマッサージ
これははっきり言ってハマります。2時間もやってもらって250バーツ。チップ入れても1000円しない。私はピアノを弾くせいか、万年肩凝り症で、よくマッサージにかかるけど、日本と比べ るとうそのよう!エステも足裏マッサージも、気持ちいーい!
最近はエステ、ショッピングツアーがさかんだそうです。そうですね、おいしいタイ料理食べて、ショッピングして、ついでにキレイになるんだったら、納得かも。
東京での胃痛、肩凝りもすっかり治って帰って来ましたが、又仕事ペースに戻ったら、もとのもくあみ!あー、悲しい。

☆Music!
お友達ルネちゃんは素敵なサックスプレーヤー、鈴木和雄さんとこの春結婚したんです。いいなっ!…で、今回は旦那様カズさんの出演場所の追っかけで、音楽三昧。
9ケ 国の人達から成るビックバンドが出演する“Witch’s Tavern”(Photoのページで見てね。)、おしゃれなレストラン“Eat Me”(すごーい名前。しっかり私のCDプレゼントして来ました。)今回は行かなかったけど、オリエンタルホテルの“Bamboo Bar”も素敵です。
けだるーい暑さとお酒、音楽が雰囲気を盛り上げます。でもどこも屋内はぎんぎんに冷房が効いていて寒いくらいですが。
ホテルはランチタイムやハッピーアワーにもライブ演奏が入り、夜はいろんな所でライブミュージックが聴け、とても活気があります。

☆Bangkokの電車“BTS”
以前はバンコク市内には電車がなかったので、タクシーか、バス、又は名物の小型オート三輪車トゥクトゥク(でもこれは、ホコリで顔が真っ黒になる。)に乗るしかなかったけど、今は“BTS”ができました。タイ語ができない私にはうれしい。
すごく単純な路線なので便利。方向音痴の私でも少しは出かけられます。
スマートな制服で責任感にあふれ、誰かホームの停止線から足がはみださないか、一生懸命見張っている駅員さんなど、何となく微笑ましい。
でもみんなマナーは良く、日本みたいに人を押しのけて乗ったり、知らん顔で席を譲らないというようなことはありませーん!電車の中には、飲食禁止マークが貼ってありました。日本もああいうの作ればいいのに…。

□ N.Y.編 Aug.-Sep. 2001

2001-10-7

今回は、いろいろあって3年ぶりのN.Y.でした。
2年のあいだに街もだいぶ変わり、(Broadwayの劇場街、特に42 Stあたりは、ここはラスベガスか!と思うような派手な看板が目立ちました。)全体的により安全になった感じを受けました。
友達にも全員会えて、素晴らしいパフォーマンスも観、さて、しっかりエネルギーも補給したぞと、心を残しながらも日本に帰ってきた3日後のテロ事件。ほんとうにショックでした。
知り合いで被害を受けた人も、事件をしっかり目撃してしまった人もいます。
この地球のなかで、争い、憎しみ合って何になるのでしょう?
だいぶ雰囲気の変わってしまったN.Y.の情報をTEL、Mailで得ながら、これ以上ひどい事のないよう祈るばかりです。

☆Empire State Building 71F
はじめてN.Y.に行った時昇ったエンパイアに久々に行き、しみじみとひとりで佇んでこようかと思っていたところ、友達の知り合いが、71Fにオフィス持っていて、水戸黄門状態で、フリーで入れてくれると言うので、さっそく出かけて行きました。
風の強い日で、景色は遠くまで見えて最高!展望台ではワールドトレーディングセンターをバックに入れて写真も撮りました。あれがもうないんですね!
たまたま満月で、そのオフィスのバーで、何と私のCDをかけ、素晴らしいマンハッタンの夜景をワインなど飲みながら堪能してきました。
結局、どこに行っても酒盛りになってしまうのね!

☆Blast!
N.Y.に着いたとたんの友達のゼッタイのお勧めで、"ブラースト"という50人からなるビッグブラスバンドが踊りながらクラシックからジャズまで何でも演奏し、コーラスなんかもやってしまう素晴らしいパフォーマンスを観ました。
当然女性も混ざっているし、ドラムやチューバとか重い楽器も持ったまま、激しく演奏し踊っちゃう!ダンスだけのシーンもあるけど、これが又素晴らしい。ちなみに出演者は皆20代。(32才が最年長)…そうよねー。そうじゃなくちゃできないなー。あんなハードなこと。
客席まで出てきての演奏、そして終わってから出演者がシアターの外でもサインしたり、お話したりと考えられないサービスぶり!
私もついミーハーして、いっしょに写真撮ってもらいました。(Photoの頁で見てね。)

☆N.Y.の地下鉄
地下鉄もだいぶきれいになった。トークンをその度に買う人もいるけど、自動販売機もけっこうあるので、メトロカードで乗ります。Fun Passというのは$4で、1日乗れる。一往復以上乗りそうならすぐもと取れちゃう。
一昔前のあのスプレーの落書きは、最近は洗うととれるようになっていて、それは 日本の企業の特許なんだそうな。新しい車両も日本が作っていると聞きました。
でも根性で、内側にスプレーしてあったな。いったい誰がいつやるんだろう?

疑問1・・・
N.Y.は地下鉄もバスもイスがプラスチックで、かねがね寒いと思っていましたがみんな・・特に女の人は平気なのでしょうか?
アメリカ人の友達に言わせると、「もし日本のようにきれいなクッションのシートだったら、すぐナイフでグチャグチャにされてしまう。アメリカ人は太ってる人が多いし、体温も一度ぐらい高いから平気なんだ。」って本当かしら?
でもはっきり言って私はおしりが冷たい!

☆N.Y.の電話
N.Y.ももう携帯持ってる人が多いので、公衆電話が減りました。
そして、いつものことですが、それがしょっちゅう壊れている!
ひどいのは、電話機じたいがとれちゃってるなんていうのもある。そして、繋がらなくても一度入れたコインはぜったいもどってこないのです。
「これが最後のクオーター!」と思ってかけて、繋がらず、コインだけ取られて何度も口惜しい思いをしています。
私など出かけっぱなしが多いし、今回は相手もケータイのことが多くほんとに不便。
そんなわけでN.Y.にいるあいだじゅう、ひとの携帯借りまくっていました。
次は空港で借りて行くんだ。ぜったい!
ちなみに、ケータイでメールはないみたいで、日本のように、電車に乗ったら全員 カチャカチャというのはないです。

□水野由紀がこの業界に入ったいきさつ

2001-08-28

子供の頃は両親が好きだったせいもあり、クラシックばかりで、流行っている歌とかはあまり聴かなかった。

高校生になってちょっと反抗してみたくて、ロックなど聴いたりはしましたが…。

その後音楽方面に進んでも卒業後、音楽教室の講師になるとか、ピアノの先生になるなんて全然思わずに、世の中に何かおもしろい事はないかとワクワクして暮らしておりました。

その頃からジャズミュージシャンや、他のジャンルのバンドの人達を知っていたけれど、自分がそういう音楽をやる事には結びつかず、ただ遊びで見に行っているというような感じでした。

そんなある日、とあるホテルのラウンジに行った時、ちょっと高い位置に白いグランドピアノがあり、ピアニストのおねえさんがきれいなドレス(どちらかと言うとそう!よく結婚式のお色直しで着るみたいなお姫様ドレス!)を着て、優雅にアルペジオたっぷりで、何か私の知らない曲を弾いているではありませんか!

「ああ!こんなに素敵な仕事があったんだ」と夢見心地になり、それからは若さゆえの怖いものなしで、体当たりで色々な人に、どうしたらああいう仕事ができるのか聞きまわりました。

何故かアッという間に仕事がみつかり、ドレスだけは買ったのですが、レパートリーが異常に少なく、ピアノの前に座ったとたん、譜面台を立ててショパンのノクターンなど弾き始めてしまう私だったのに、今思えばよくギャラを払って雇ってくれたものだと、冷や汗とともにホントに感謝しております。

そんなこんなしているうちに、また色々な人と知り合い、ショパンから突然ジャズ、ポップスの世界に入り、その後バンド、タレント生活、その他、なが―い音楽人生が始ったのでした。

きっかけはけっこうミーハーだったんです。ハイ。今でもおぼえてるなー。最初に買ったドレス。

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